はや再発して4ヶ月経ちました。
起きるのも辛い日々でした
でも
会社だけは出社し続け、笑顔で過ごせるのは自分でも不思議でした。
心の内ではどんよりしたものが渦巻き
体は心臓の鼓動が脈打ちじっとりと汗ばみ
動くのがやっと
でも、出社し続けました。
だから、家に帰れば
ぐったりとし、なにもできない状態になっていました。
こんなにまでなって会社に出なければいけないのだろうか?
何度も自問自答しました。
天風会行事に参加できなくなって4ヶ月
こうして文字を書き
意思を伝える
そう言う意欲が出るまでに回復した今
改めて天風会って自分にとってなんだろうって考えました。
観念要素、積極精神、神経反射、精神使用法等々講習会や修練会で学びます。
分かっているつもりでも、単に机の上での学びではなかったのか
鬱を再発した時、自分を責めました。
教えを学んだ自分が、何故再発したのか
人は身体にまた人生についても色々な事が起こります。
その時、私たちは何を考えどう行動するのか。
毎朝、頭の中が訳もわからない考えが渦巻き、脈拍が上がり、四肢が動かない。
辛かったです。
そんな時、自然と安定打座を行っていました。
体が辛い中でもある程度冷静に見つめられました。
会社に行こう
こう浮かびました。
布団から這い出るように起き、服を着替え出かけました。
次に
言って治らないものは言わない。
頭に浮かびました。
病は気にしないでおこう。
又、浮かびました。
こうして会社では、顔が引きつっていたかもしれませんが、
笑顔や冗談を心がけました。
社の仲間は、私が鬱だとは気がついていないと思います。
ただ、辛さゆえに気が荒だったり、ついつい我儘を言ったりする自分が居ました。
人は、イヤな奴だろうと思ったかもしれません。
こんな時、天風先生の教えが身についていないと情けなく思います。
また、帰るとぐったりして何もできない日々でした。
だけれども、ある日何もできないのは、鬱なのだからと言い訳を自分自身しているのに気がつきました。
学んだ教えって、確かに自分の生活行動を変え、それによって周りの状況も変わり、時として悲運な人に運が向いてくるかもしれません。
重要なのは、教えが如何に自分に浸透しているか。
今回の病は完治までまだ時間がかかるかもしれません。
治療中でも反省すべき点が見えました。
天風哲学って実践哲学って言われます。
実践て何でしょうね?
毎日水を浴びたり、体操したり、安定打座をするのは大変良いことだと思います。
だけど、事が起こった時、自分をいかに冷静に見つめられるか
私の場合、辛さゆえに甘えや言い訳と言うものが反省点です。
これを頭に入れて日々教えを実行していってこそ生かされてくるのではないのかな。
今回のことを経験し、感じたことを文字にしました。
大阪賛助会 M・S