大阪賛助会 A・D
小野先生の講習会に参加して自分なりにまとめてみました。
人間はいかにして、命を保っているのだろうか?
昔は命とは霊魂といった。霊魂は見えないもの感じるものである。
電気はなぜ点いているのか?そこにはエネルギーが流れて、熱を持って流れて、電気エネルギーとなる、光エネルギーとなる。エネルギーには実感がある。
命とは大自然の森羅万象や四季の変化など、自然界のエネルギーと一緒である。宇宙そのものを作り上げた源と同じである
朝起きたら元気と言うことは、肉体エネルギーが消耗し、食べ物、栄養をとっている。
精神活動を支えるエネルギーを、精神生命エネルギーと呼んでいる。
物を考えすぎて疲れたら眠る。精神生命エネルギーは寝ている間に補われる。
命とは電池のようなものである。昔はエネルギーの概念はなかったから、神から授かったものと思っていた。
神経とは?神経の働きとは?
神経の上の字の神とは、エネルギーの流れる道のことで、経とは経糸でエネルギーの通る道であり、複雑に絡み合っている。
神経エネルギーの無駄遣いをしないで、自分の意思で調節しながら、自然界のエネルギーを無駄なく取り入れに使う。
長年の習慣で無駄に使っている時には、エネルギーを切り替え、無駄のない生き方にする。
神経系とは見えるがとお手居るエネルギーは見えない、しかし、流れて仕事をしている。
心の働きはどうか
大脳の中枢神経の働きで心が喜んだり、悲しんだりが起こってくる。
みぞおち、お腹の中、丹田など、神経叢は急所といわれている大事なところである。落ち着いた状態で流していくと穏やかな心の働きになる。
やる気があっても、体がついてこないのは、そう思っているからであり、思うことをやめればよい。高いエネルギーを流すため、一度ご和算にして、やり直したら良い。そのための方法が神経系統の反射機能調節である。?
こだわりや滞っていると思ったら、もう一度リセットして、クンバハカ体勢で息を止める。肩の力を抜いて、肛門をしめる。下腹部に(臍下丹田)命の力を充足させる。
エネルギーはどこからでも入ってくるが、抜けるのは肛門である。僅かでも開いているともれる。気力充満して外部の刺激に耐える。
仙骨神経叢にもたくさん命の力が集まってくるところ。練習して四つのポイント(肩、肛門、丹田、止息)をチェックして練習する。体で覚えないといけない。
呼吸法、養動法など、クンバハカの応用である。命を自分の責任で守る。
「自分の命は自分で守る。しかし実践哲学であるから自分で身につけ自分でやっていくこと。どんな体勢になってもクンバハカ体勢を取れるように訓練で身につけなさい。そのうち変わっていくよ」と天風先生
ヨガの里では、自分で悟れ。言葉で教えてはいけないと言われていたそうです。
精神使用法
知は左脳の働きで論理的である。情は右脳で本能心でひらめき直感である。意は霊性心で前頭葉バランスを取りながら進んでいく。心と体は命を動かす道具であり、目覚めているときはわかるが、寝ているときには意識がない。
今の考えが手足の動き、心の状態に影響を与える。絶対心配してはいけない。取り越し苦労しないこと。意志の力をしっかり育てないといけない。命の力の無駄遣いをしない。積極的思考になること。
心の状態を穏やかな状態にする。イラついていないか?冷静に内省検討して穏やかな人間関係を作る。
精神活動の無駄遣いしていることに気がつきにくい。
明瞭な意識のもとで常に心の安定化を保ちながら①集中して物事にあたる。②適時に意識を転換する。一度にできるのは一つだから、一つひとつ処理する。
物事を心の方に持ってくるのが集中であって、心を物事にもってくるのは傾注である。事がすんだら心から離す。たくさんすることがあっても、昔のチャンネルを合わせるように、集中と転換する。訓練することで精神統一できるようになる。
気の散るようなとき、散らない訓練をする。①心の急ぐとき、②慣れたことをするとき、③興味がないとき、④価値のないことをするとき、⑤以前失敗したとき
天風先生は聴いている人の心がけ次第で、2倍にも3倍にもなる。世の中は師匠ばかり。
余裕のある真剣さと、転機のきく集中さが大師である。
人の為すことで度が過ぎると為になる。
調和は自然界にしかないから、自然に学ぶこと。自然はよくできている。
孔子は「学んでいよいよ苦しみ、極めてますます悩む」といったが、これは理性である。
信念が合っているときは、霊性心である。
寝がけの鏡を毎日繰り返す。
順調の時は、進歩がない。悩むとき、自分を育て上げる絶好のチャンスである。
病や不運なときは、生命力が低下しているから、充足をはかること。自分の命の力(潜勢力)の中から、引きだすことができる。
明るく朗らかに、生き生き、勇ましくすると、どんどん命の力が入ってくるようにできているのが人間である。少しのことでも喜べるときは喜ぶ。
病には原因がある。命の力が低下している。自然法則からはみ出したときに病になる。治すのは心の積極化と安定を図りながら、「病気を気にしなくなる」と寝がけに言う。
不運不幸は起こっても、波及効果はさける。それを客観的に捉え、連鎖作用をしてはならない。
「何かあるのが人生、心ひとつの置き所」