運命には、どうしても逃れられないものと、それから逃れられるものとあるんです。つまり、身をかわしきれないものとかわし得るものとある。
かわしきれない運命は「天命」という。絶対的なもので、これは人力ではどうにもしようがないもの。女が女に生まれ、男が男に生まれたのも天命。この現代に生まれたのも天命なら、昔に生まれたのも天命。また末の世に生まれるのも天命だ。これはどうともすることはできない。
しかし、絶対に逃れることのできない天命的なものばかりが人生に襲いかかるんじゃない。多くの人が苦しみ悩む、いわゆる運命は「宿命」なんだ。宿命というのは、人間の力で打ち拓いていくことができるもの。絶対的ではない、相対的なものなんだ。
ところが、今の人は、打ち拓くことのできる宿命にぶつかったときでも、それを天命と言う。自分の努力が足らないことは棚に上げて、どうにも仕様がないと言うのである。
そういう人間が人生に生きるとき、ただ偶然ということのみを頼りにして、その結果、自分じゃ気がつかないが、いつか自分の心が迷信的になって、すぐ神や仏にすがりつこうとするのである。